路傍の水

日々 絵や創作のこと

創作SS:嘯嘆き

彼女との出会いは高校生のころに観た映画だった。強烈な存在感をはなち、美しく輝くルックスはもちろん、人間の影の揺らぎや、歪な心情を表現する演技力の高さに強烈に惹かれたことが切っ掛けだった。少ない小遣いのみでやり取りし金欠を極めていた当時の三鴨壮一は、彼女のために公開期間中毎週一回、計4回劇場に足を運んだ。まだあどけなさを残す10代だった少女は、今では20半ばを過ぎ、垢ぬけた女性になっていた。年を重ね、女優歴を重ねた彼女はきれいどころだけでなく、物語のキーパーソンを演じる演技派女優にシフトしていった。ついにはハリウッド映画からのオファーもあった。来年はその撮影が始まるということが取り沙汰されていて、そのさなか、週刊誌によると指定暴力団体と思われる男たちとの密会を撮られた。そのテーブルに置かれていた様々な物体が、いったい何だったのかはその場にいたものしか知り得ない情報だが、憶測は悪意や成功者への妬みを孕み、広がり続けた。彼女の印象は地に落ちただけでは飽き足らず、ニュースサイトを開けば誹謗中傷の記事や言葉が目に付くようになっていた。
強欲さは何ものにも勝り、すべてを崩壊させる力を持っているのだと思った。彼女が欲しがったのは金だか、薬だか知らないが、喉から手が出るほど欲しいものだったのか。彼女の美しさは、何ものにも負けない美しさ、そして儚さを抱いていた。バラエティには極力出演せず、それでも珍しく出演した際には、控えめで、発言もそこそこ、台本通り話させられているのだろうと思えるセリフしか口にしなかった。当時はその淑女ぶりが素敵だなんだと持ち上げられていたのに、今ではそのVTRさえ悪意をもって使われる。美しさは、一瞬で砕け散るのだとその時知った。当時男子高校生だった自分自身の、あの感動も崩れ去ってしまいそうだった。彼女は芸能界から姿を消した。海外で生活をしているというもっぱらの噂だった。もう彼女が出演する、新たな映画は観られないと思うと、空虚さに涙もでなかった。彼女が死んだことと同義だった。いつか彼女が演じるキャラクターを描きたい、と、脚本を書いては応募し、落選を続けていた三鴨は、彼女を失ってからはただのサラリーマンであり、都会の有象無象の一部であった。夢の「核」を失ってしまったのだ、と思いながら、Wordで書きためたファイルをゴミ箱へ移し、そしてゴミ箱からも完全に削除した。

創作SS:右側に立つ人

出囃子の音に急き立てられ、暗い舞台袖から光の当たる舞台の真ん中、すっくと立つマイクの元へ向かった。最前列のお客さんの顔が舞台のライトに照らされて、どんな表情をしているのかもわかる。拍手に気圧されている暇はない。さあ、口を開け。考えに考え抜いて、練習して、打ち合わせを重ねた。大丈夫や。自分の左側からはいつもそこにある体温が感じられた。こいつも緊張してんねや。そんなん俺もや。何年経ってもこの瞬間は緊張するわ。

16年の付き合いのうち、こいつの右側に立っていたのは一体そのうちの何割になるのか。冗談じゃなく9割を超えてるんじゃないか。寝てる間は計算から外すとして、休みの1人の時間と、女といる時間と、後輩連れて飲んでる時間と、実家帰って家族と過ごしてる時間。それ以外はずっとこいつの隣に立って、打ち合わせしたり、舞台に立って漫才したり、テレビのロケ行ったり、あるいはコメンテーターとかガヤとかでテレビのスタジオで座っていた。大勢で飲みに行くことになったときもなんとなくこいつの右が定位置だった。先輩には「普通コンビで並ばへんで!」と笑われもしたが、「一番仲ええのが隣におるんやからええやんか、なあ」と相方に話しかけてみたら、酒が回っていつもより饒舌になった相方が、「せや、お前が隣におらんと俺、落ち着かへんねん!」と真っ赤な顔をくしゃくしゃにして言ったので、こいつの隣には俺がおったらなあかんのや、と若い時分には思ったりもしたものだった。
おかげでこいつ以外と歩くときも、左側に人がいないと落ち着かないようになっていた。俺の左腕の皮膚は確実に敏感になっていて、冷たさや熱さをいちはやく察知したし、耳も左耳のほうがよく聞こえた。左側にある障害物にはすぐに気づけるくらい、左目は動きに反応する速度が速くもなった。「職業病ってありますか?」って質問をラジオの仕事の最中に貰ったからこの話をしたら、相方も「俺もや!」と自分の右側が発達してることを仕切りに話しだして、これは2人にしか伝わらない話だから、芸人としては公共のラジオで流すもんとちゃうやろうな、と思っていたものの結局楽しくてこの話題を引きずりすぎ、曲を流す時間が短くなってしまった。

そんな相方が結婚すると言った。お互い彼女が居たことは知っていた。結婚が向いているようなタイプの人間じゃお互いなかったし、こんな安定しない職業だからと結婚の話題が仲間内で出ても「まだええかなあ」なんて言い合っていた。30を超えてもお互いに結婚の気配もなかったため、当然俺は掌返しをされた心地だった。お前もまだええかなあって言うてたやんけ、と言う言葉が頭の中でぐらぐらぐらぐら、やがてグツグツ沸き起こってボコボコと泡になって口に出た時には「おめでとう!!」という言葉になっていた。さすが16年も喋ることを仕事にしてきただけあるわ、と自画自賛した。同い年の相方が結婚したから、俺も結婚せな、という焦りよりも、初めて感じた強い焦燥は「こいつの隣に別の奴が立つ」ということだった。
わかっているからだ、こいつだって俺と同じだから、必ず人の左側に立ちたがることを。嫁と歩くときも嫁を右に立たせるんやろが。やめろや、やめろや、それは俺が16年おった場所やぞ。これからも仕事の間はずっと俺がそこに立つんやぞ。

長年連れ添った相方として、勿論俺は結婚式に招待されたし、結構な大役を任された。スピーチの練習なんかを仕事の合間にやったりしたら「もっと気楽でええんやって」と相方に笑われた。何わろとんねん、お前の結婚式やから真剣に考えとるんやろが。お前は1人でも充分社会でやっていける人間だった。頭の回転は速いし、考えはしっかりしてるし、勉強もできるし、何より努力の天才だった。とことん突き抜けてまで自分の決めたことをやり通せるところを尊敬していた。こいつとならどんなことでもやり通せる、そんな直感だけで、普通の社会の道からお笑いなんて浮ついた世界に引きずり込んでしまった。あの時の面食らった顔は一生忘れない。「お笑いなんかわかれへんし、人の前に立つの好きちゃうし」と渋るそいつを口説きに口説いて、俺の隣に立たせた。そのことに後悔なんてしたことはないが、引け目はあった。普通に就職した方がもっと稼げたんちゃうか、とか、もっとええ出会いがあったんちゃうかとか、相方が周りから言われているのを知っていた。結婚せんといつまでも子供みたいなことして、と言われたのは相方だけじゃなかった。金銭的なことよりも、精神的に苦しいことは何度もありました。でもそれを乗り越えることができたのは隣におったのがお前やったからで、やっぱりこの世界に引きずり込んだのは間違いやなかったと思ってます。
そんなお前のことやから、幸せにできると確信を持ってやっと結婚を決めたんやと思います。普通よりはきっとずっと長かったけど、僕はそれが何より嬉しいですーー考えていたものとは違う、そんなスピーチがいつのまにか口から出ていた。
結婚式の最中、挙式も披露宴も、相方はいつもと反対の、花嫁の右側にずっと立っていた。

「ありがとうな。」
「こっちこそええスピーチやったし、盛り上げてくれてほんまありがとう」
「ちゃうねん、俺ずっと、お前は花嫁を右側に立たせると思ててんやんか。そっちが舞台の位置の定位置やろ?それやったら俺、あんなスピーチでけへんかったと思うねん。」
「……お前、知らへんのか?」
「何がや?」
「花嫁はゲストに向かって左側って、決まってんねんで。」

いつからだったか

「絵を描く」ことそのものに対して考える時間は多いのに、一枚の作品について考える時間がとても少なくなった。

サムネイルラフを描いて、モチーフを厳選して、色のイメージをかためて、という絵を描くプロセスを踏まなくなってしまった。それは落書きを増やしているだけであって、作品を制作していない、という実感につながってしまっている。

私はずっとそのプロセスから逃げている。描けないもどかしさや自分の脳内ビジョンを移せないことにいらだって途中で投げ出してしまうことを知っているからだ。

逃げている実感はどんどん心の負債として積もってしまっている気がする。

 

ツイッターはあまりネガティブな感情を流す場ではないような気がしてしまっているのでこちらで。

在宅勤務になって時間もできたので、ことばの切れ端だけでなくちゃんとまとまった文章を書く練習がてらブログ書いていこうと思います。

見てくださってる方がどれほどいるかはわかりませんが良かったらお付き合いください。

陽炎<1>

彼の家は、神戸の郊外の人家もまばらな里山のふもとに建っていた。明治の頃に建てられた百坪ほどの広い家は、悪くなったところから直し直し住み継がれていた。当時にしては珍しい石造りの客間や、庭の大きな柿の木は家が建った当時から変わらずそこにあるものだった。

朝から降っていた雨は、正午を過ぎると段々小降りになって来た。激しく音を立てていた軒先の鎖樋が静かになったのを聞き、”山陽本線”は横たえていた身体をゆっくりと起き上がらせた。

彼の背中の、肩甲骨あたりから腰にかけての一帯には大きな火傷の痕があった。白い肌が赤銅色に変色し、引きつっている皮膚に痛みはもうない。しかし毎年、梅雨が明けるころから次第に傷は疼きだし、八月になると、一層背中は熱を持ち、焼けるようにジリジリと鈍い痛みが昼夜通して続くのだった。

背中が擦れると全身に痺れが走るほど痛むので、仰向けで眠れず、反ったり屈んだりして背中を動かしても痛むので服を着るのも一苦労だった。膿みはしないが、鼓動に合わせて傷のずっと奥から悪いものが滲みだしてくる心地がした。

肌着一枚だったところに、ようやっと麻のシャツを一枚羽織ると、水を飲みに土間へ降りた。床には板が敷いてあるが、今風の、いろいろな機能のついたカウンター式キッチンにしたいという彼の妹の要望は受け入れられず、最低限の機能のみの簡素な台所だった。

蛇口を捻ると冷えた水が勢いよく出て彼の手を濡らした。ステンレスのパイプは外気との気温差で汗をかいた。雨が弱まったのを示すように、蝉の音が次第に強くなるのを聞きながら、コップ一杯の水を飲み干した。

家のなかはしんとしている。家の近くには”彼の”線路が走っているのと、家に住むものが腹を満たすためだけの少しの田畑があるだけだった。その田畑からも誰かがいる気配はなかった。

コップを濯ぎ、手を拭っていると、背中がより一層痛み始めた。思わず呻き、流しの縁を掴む。背中の傷跡は、彼が平静であることを拒んでいるようだった。

 

 

彼が背中に傷を負ったのは、70年以上も前のことだ。戦火も激しく、本土襲撃が始まったあの頃も、人家のない彼の家の一帯は静かなものだった。町には出るなと、彼は彼の親なる存在からよくよく言われていた。昭和20年の3月には、空襲によって神戸駅の周辺は焼け野原と化していた。神戸駅でよく会った彼の幼馴染も、彼同様田舎へ引っ込められているらしく、もうしばらく会っていなかった。

戦争が拡大していくにつれて、彼が運ぶものは人より貨物が多くなっていた。不要不急の旅行が制限され、一般の通勤通学者よりも優先されて運ばれたのは、入団兵や、工場勤務のものたちばかりだった。

彼は幼い頃から一等車が好きだった。一等車に乗る客の、品の高いのが好きだった。金遣いもよかったし、華美でない質のいい生地で拵えられた衣服が好ましかった。親や周りの大人たちに、帽子や手袋を強請っては、「まだ早い」と笑われながら、それでも質のいいお古を貰ったのだった。食堂での賑やかなのも好きだった。何より自分の走る景色の中に、笑う人達がいるのが彼にとって一番嬉しいことだった。一年前には、決戦非常措置要網によって、一等車・寝台車・食堂車は全廃されていた。客は口を噤んでいた。笑い声はほとんど聞こえなくなってしまった。乗り合わせた兵隊に気を遣えというお達しだったのだ。若い鉄道員のほとんども戦争に連れていかれ、老いた職員が鉄道を率いていた。

「女が軍事教練をしているのを見に行こう」と”呉線”と”宇品線”に誘われ、広島の町にでた。何度も空襲を受けた町は瓦礫ばかりで、その中を歩く人の姿には力がなかった。それとは裏腹に駆けていく彼ら二人はこの戦時下を愉快に感じているところがあった。多くの兵隊と常日頃一緒にいるかららしかった。町から離れたところでひっそりと、戦時下の貧しさを噛み締めている山陽には彼らの明るさが不思議だった。この状態に終わりが来るのだとしたら、一体どんな終わり方をするのかという彼の想像は、いつも最悪のものが思い浮かばれた。

島鉄道教習所で、白い鉢巻を巻いた女子生徒達は掛け声に合わせ行進の練習をしていた。こんな姿の若い女を見て何が楽しいのだろうと思った。若い女は食堂車で飯を頬張って、品が悪いと叱られて笑っているぐらいがいい。二等車や三等車で、景色など目に入らないかのようにおしゃべりに夢中で、大声をあげて笑うくらいがよいと思った。今の彼女たちに表情はなかった。何か楽しいことを考えるのを、無理矢理にでも止めようとしている風に思えた。

2017.12.24 中央・総武線各停/高円寺

クリスマスらしいことは昨日のうちにささやかなクリスマスパーティーというか忘年会というか、いつもの友人といつもと変わらず落書きしながら駄弁った。これが一番たのしい。見るも無残だった部屋が人が来るというので少しスッキリした。人は定期的に招いたほうが部屋のためにはいい。日が昇るまで遊んでいた。

 

午後に高円寺に散歩に行った。学生の頃良く来ていて、その時から行っては買うものが古本だった。駅からは歩くと30分以上かかるような不便なところに住んでいたので、自転車で行っていた。重い辞書を何冊も買った。

逢魔時だか、もう薄暗い寒い日のことだったと思う。小さな看板が立っていて、気になって路地の中に入った先で小さな古本屋を見つけた。その時はなにも買わずに出て来てしまった。今日ふらっと散歩に出ようと思ったのはそこを探そうと思ったからだ。

一度しか行くことのなかったお店、私にとって何もかもが初めてだったあの頃、そのお店も始めての冒険で見つけたような感動があった。でも本を買わなかったのでずっと実感がなく夢の中の出来事のように思っていた。丸眼鏡をかけたおじさん店主が、部屋の中の梯子から降りて来る…なんとなく覚えているだけの記憶は夢と変わらない。どのあたりだったかなあと考えながらいろいろな店舗のクリスマス向けのムードの中を歩いていた。路地を覗き込んでいたらその店は案外すんなりと見つけることができた。あの時より明るかったので路地を広く感じた。

店の中の雰囲気も、店主のイメージも当時と変わらなかった。大昔のように話すが実際は5年も経っていない。だけど自分にとってはいろいろなことがあったし、20代になってからは一年が早いよ、と言われていた一年は凝縮されていて、たしかに早くは感じたが短いとは思わない。だからあの数年前に行っていた街に行き、店が数軒変わっていてもほとんど街の表情が変わっていなくてどこかホッとしている自分がいた。

本の物色を始める。店内には私の記憶の中の男性と、女性がレジカウンターにいた。丸眼鏡の店主は「良い本だけどボロボロだなあ」と言いながら本の修復をしていた。狭い店内、4畳ほどだろうか。壁に本棚や楽譜、古いフライヤーが貼ってある。本は芸術書が多いだろうか。そういえば先々週に本八幡に行った時に寄った古本屋も芸術書が多かった。売る人が多いということだろうか。集めたい人が多いということだろうか。

いくつか気になる本はあった。これだけたくさんの本があって、手に取るのはごく一部、しかもなにかを探して入る訳じゃない古本屋ではすべてが初対面で、もちろん前情報もないから、その手に取る動作も大げさに言ってしまうと運命のひとつなのかもしれない。

そして今回手に取った本の中から買ったのは「二葉亭四迷集」

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だいたい書き出しでピンと来るものを買うようにしているが、今回はタイトルで、「浮雲」。実は文庫を持っているが読み切れていない。買ってから2年ほどだったので、今ここで読むべきタイミングなのかもしれない。

学生の頃はどんどん新しい出会いを求めていたように思う。そしてそれがその時々の自分の作った物語やキャラクターに残っている。その場に行けばどんなことを考えていたのかを思い出せる。旅をしながら物語を書くのは自分の中に地図を書くのと同じことかもしれない。今年の自分はどうだっただろう。いろいろなところでいろいろな人と出会いながら色々な生き方を試してみながら過ごしていた。

上半期はほとんど人と会わずインターネットの中の自分の描いたものへ自分が没頭していたように思う。それが悪いことかどうかは判断できないが、下半期になってからの時間の感じ方のほうが自分にとって良いものになっている。

年が明けてから特に3ヶ月間はあっという間に過ぎてしまうが、ネットに没頭しない自分の時間をもっと持ちたいと思う。

2017/11/30-12/1 都営大江戸線

冬、年末にかけては財布の紐が緩むんだよなあ、と浅草先輩がぼやく。そういえばこの人たちのプライベートな話って聞いたことないな。自分は一年のうちに特別にお金が減る時期というのがないので不思議に思うのもあり、素直に聞いてみることにした。他にすることもないし。

「なんでですか。」

「なんでって、ゲームの新作がたくさん出るだろ。」

まるで、まさか買わないのかよと言いたげな顔で言う。買わねえよ。そういえばそんなCMを見たような気もするが、そもそも普段から見たい番組もないのでテレビをつけない。昼飯時の食堂で流しみる程度だ。

今年はハードってのがどうの、動物の森がどうの、なんかよくわからねえ話になってきた。聞くんじゃなかった。

げんなりしてきたところで三田が到着した。なんの話をしていたのか話すと、わかります~と相槌を打つ。

「年末商戦に毎年乗せられちゃうんですよね。だって、新しいコート欲しいし、手袋もマフラーも欲しくなっちゃうし、クリスマス限定コフレはパッケージも可愛いし」

どうせ使いきれないんですけどー、とぼやいている。コフレ、がなんなのかいまいちわからないがこいつのことだから女々しい代物の何かなんだろう。俺には縁がない。

「お前は?欲しいもんとかないの」

浅草先輩に聞かれて、少し考えてみるが特に何も思いつかない。人間が金を払っても欲しがるような『居場所』ってのが元々ある身で、あとは何を欲しがりゃいいってんだ。あ、そうだ、

「来年の手帳?」

生活必需品じゃねえかよそれ、と呆れられているところに、最後のひとり、新宿先輩が来た。時間は日付をまたいで終電がちらほら出たあと、待ち合わせ場所は浅草駅A5出口。両手に紙袋を下げている。

「また随分買ったなあ」

「今日までだったんですよ。あ、日付跨いだから昨日か。」

聞くと、新宿駅で古本市をやっていたらしい。なにをいうか、先月は神保町の古本市だと大量に買ってたくせに。でも毎年のことなのでもうだれも驚かない。そんな大量の本、狭い部屋のどこにしまってあるんだろう。
新宿先輩が本をロッカーに預けるのを待ってから、浅草寺へ向かう。

今日、0時過ぎからここらは人の街じゃなくなる。毎年大盛況の酉の市は人様のお祭りだ。11月の酉の日に行われ、今年は三の酉まであった。そしてその最終日の翌晩、つまり今年は121日の0時過ぎから行われるのが人間以外のための祭り、通称「戌の市」だった。
戌の日だからって安産祈願するやつは誰もいない。売れ残った熊手だったりそこに残った人の精気だかを狙って方々から人でなしが集まる。俺たちも毎年恒例で来ている。畳まれたはずの屋台がいつの間にか組み直され、灯篭に火が灯っている。仲見世通りじゃまだやってる店もあるはずだが、人は気づかない。大昔は気付く人も多かった、というのは店を出しに来る側の伊勢崎のオヤジがいう話だった。こういう市には必ず顔を出すのが東武だった。みんなそれぞれ動物の面をして来るけどバレバレだ。俺らの口に合う飯を出してくれるのは奴らの屋台ぐらいなのでこれにも毎年お世話になっている。別に熊手が欲しいわけでも、(浅草先輩は毎年買ってるけど)物珍しい人でなしを見たいわけでもない俺らがこの市に顔を出す理由はひとつ、金のためだった。

俺らが持っている金はいわゆる日本円じゃない。人間の通貨とは異なった様相を呈するものだった。誰が思いついたか知らないが、それを知るにはもっともっと古くまで遡らなきゃならないらしい。で、その通貨を日本円に両替してくれる両替屋っていうのがいて、そいつに頼めばいつだって両替はしてはくれるが随分ぼったくられる。メトロや東武のやつらは顔がきくからレートが違うとかでわざわざ来ないが、その両替屋がどんな客でもレートを一定にしてくれるのが年末のこの日だった。日用品とか食料は別に人間の通貨じゃなくたって買えるとこはあるが、先輩たちのいうような娯楽品を買うためにはどうしたって日本円に変えてもらわなきゃならない。別に欲しいもんなんて何もない俺は付いて来るだけ時間の無駄だし、こんな夜中に迷惑な話だが、絶対替えといてもらったほうがいいって!という先輩方の押しの一手で毎年来ることになっている。

客が増えるのは丑三つ時を過ぎてからだから、それまでに用事を済まさないと大変なことになる。雷門でまっ先に両替にいく先輩たちを見送ってから俺は屋台を見て回った。トカゲの丸焼き。うぇ。あっちは、ハトの串焼き。うわ、昼間ここらに集まってるハトじゃねえだろうな。

砂利の上をだらだら歩いて中ほどまで来て、やっといい匂いがしてきた。

「おーい!もぐら!もぐらよお!」

太い声、伊勢崎のオヤジだ。呼ばれた方に仕方ないが進む。

「名前が呼べないからってもぐらはないっすよ、オヤジさん」
「でも振り向いただろうが。お前呼ぶにはこれが一番だしな。気にすんな、食ってけ食ってけ!」

狸の面をつけているが中身は東武伊勢崎線東武の親玉。直接関わることはないがメトロの奴らに紹介されてから、祭りの時だけの顔なじみになった。だから、俺はこの人の名前を呼んだことがないし、多分この人も俺の名前を呼んだことはない。

「今年はなんか中身違うんすね、おでん」

「イタリアンおでんとかいうやつだぜ。なんじゃねえ、娘っ子たちが食いに行ったのが美味かったから、うちで出すことになったってなわけだ。ほれ、トマト食ってみろ」

といいながらいろんな種をさらによそう。トマトだけじゃねえじゃん。

箸でトマトを割る。皮が剥かれて出汁の沁みた煮トマトは思いのほか柔らかかった。食べてみると、まあ、美味い。特に他に感想もないがまあ美味い。

今年、店に来ているのはいつものでかいのと、やかましいちっちゃいのと、たすき掛けした女子が1…2人だ。今年は2人いる、あれ、珍しいな。みんな面を被ってるし、名前も呼べないのでいつまでたってもこれがなんなのかわからないでいる。いつもいない小さい女子(多分)は俺が食べ終わるのを待って、「美味しいですか」って聞いてきた。黄色い狐の面をつけている。あれ、この声聞いたことあるような

「まあ、美味い、です」

気の利いた言葉はやっぱり出なくて、食った時と同じ感想しか言えなかった。でもそいつにはそれで良かったみたいで、よかった~、と手を頬に当てて喜んでいた。伊勢崎のが言ってた娘っ子って、こいつのことか。

あと皿によそわれてたじゃがいもとウインナーソーセージは、これまた普通に美味かった。まあ、和風トマトスープなわけだし。追加で何か頼もうと中を覗くと、ロールキャベツがあった。これ絶対美味いだろ。

「じゃああとこれください。ロールキャベツみたいなやつ」

「お、お気に召したかい。よし、これだな

面をつけて、かつ和服で割烹着を着たおっさんがトングを使って更にロールキャベツをよそってる姿はそれだけで面白い。俺はもしかしてこれを見るために毎年毎年戌の市に来てんのかなあ。

「このチビの自信作だぜ、さあ食ってみな」

どん、と背中を押されてるのはさっきの小さい方の女子だった。面でよくわからないが多分、笑っているらしい。

「じゃあ、いただきます」

まあ普通のロールキャベツだろう。そう思って箸で割らずかぶりついた。………なんだ?何かがおかしい。まず、前歯で噛みきれない。キャベツはいい、その中のひき肉もわかる、その先のこれはなんだ?圧倒的に噛み応えがある、よくわからない食感の

何かをかみつぶしたらしく、なんとなく口の中に苦味が広がる。なんだ?俺は今何を噛んだんだ?この苦さ、魚の内臓食った時みたいな、でも、なんだ?いや、これは

美味い、という人はいるとおもう。だが確実にロールキャベツだと思って口にしたらなんだこれは、ってなる味。なんだこれ、なんだこれ!

狐面はこっちを期待した目で見ている(気がする)。食い切れる。一応食い切れはする。なんとか噛み下して食べきった。だけど

「美味しかった?」

この質問に返す言葉がない!まだ口の中に物が入っていて話せない、ってフリをしながら必死で考える。伊勢崎の娘さんだろ、失礼なこと言えねえじゃん、だけど、これなんて言えばいいんだよ。美味いって言ったら他の客にまで迷惑になるんじゃないか?でもでもさあ!

「あ、ここにいたあ!」

そんなときじゃりじゃりと音を立てて走ってきたのは三田だった。でかしたでかいの!いつもは使えない木偶の坊だとしか思ってなくてごめん!

「そろそろ並ばないと後で大変だよ~」

うん、うん、だよな!そう思ってたとこ!財布から食ったぶんの金を払って、急がなきゃいけない!ってフリを大げさにして逃げ出した。ごちそうさまって言えなかったけど、今回は許してほしい。あと、水が欲しい。

 

 

「あー、もうそんな時間かあ」

おじちゃんが懐中時計を見る。丑三つ時にはまだ早いはず。

「残念だったな嬢ちゃん。感想聞けなかったなあ」

今回の戌の市、伊勢崎のおじちゃんに誘われて、私も、お店側として参加して見ることにした。お姉ちゃんが熊手を買うのについてきたことはあったけど、店側なんてはじめて。名前を呼んじゃいけないってルールは教えてもらってたけど、店側は顔も出しちゃいけないっていうのははじめて知った。なんでも、常連さんになられると面倒なことになるやつらもいるから、ってことだった。ふーん?

毎年おでんを出してるって聞いて、中身の代わり映えがしないっていうから、お姉ちゃんたちと食べにいったイタリアンおでんってのを提案してみた。伊勢崎のおじちゃんはなんだそれ、面白そうだなあ!ってすぐに採用してくれた。野田のお兄ちゃんがでっかいお鍋を持ってきて、宇都宮のお姉ちゃんとたくさん具材を用意した。大師くんは味見するだけだ。

お店で食べたメニューをお姉ちゃんたちと思い出しながら具材を用意したんだけど、それだけじゃ面白くないからなんかオリジナルのもんいれろ、っておじちゃんがいうから、私が考案したメニュー、それが「キャベツ巻き」。ロールキャベツっぽいけどちょっとちがう。キャベツでいろんなものを巻いてみた。卵だったり、お肉だったり、あと当たりもいくつか。

「やっぱり、ちゃんと中身書いといたほうがいいのかなあ」

「いや、それじゃあ、面白みがねえだろ」

食べてたあの顔をみたところ、多分あたりを引いだんだろう、大江戸くんは。

 

ふふん、やっぱりお子様にはわからないのかしら。お肌にいいんだからね、マグロの目玉って。

 

 

 

『戌の市』

2017.1130-12.1  都営大江戸線/東京メトロ南北線

2017/11/23 青梅線

「涙を流す理由は800通りあるんだよ」
中央本線が突拍子のないことを言いだすのはいつものことだった。
またどうせ変な本でも読んだに違いない。たとえ時間が人よりあろうと好きでもないミステリ以外の本は読みたくない俺に対し、こいつは手当たり次第何でも読み漁る。何を好きで何を嫌いなのかはこいつの口から聞いたことがない。今回は、どうせ変な恋愛エッセイだか女性向け自己啓発だかを読んだに違いない。
涙の理由なんてさらさらどうでもいいのだが、こいつは返事をされるまで同じように話しかけてくる。そして気に入った返事を引き出すまで話をやめない。なんてめんどくさいヤツ。
例えば俺がここで「どうでもいい」と言ったとすると、こいつはどうでもよくない理由を上手にでっち上げる。話を作るのはべらぼうに上手いのだ。そして俺は結局800の涙の理由とやらを聞かされる。もしくは俺が「800なんかあるはずない」とかいって、話の内容そのものにケチをつけたとする。すると、今度はその800が嘘だったか本当だったかには一切触れず、俺は800の涙の理由を聞く羽目になる。800だろうが、8だろうが、1000だろうが、10000だろうがこいつには関係ない。口に出したことは絶対覆さない。なんてめんどくさいヤツ。

大昔、出来もしないことを言ったこいつに「やってみろよ」と煽ってやったことがあった。その頃はこいつ以外にも俺はよく喧嘩を売った。そういう時分だった。その出来もしないことを、結果だけいうと、こいつには出来なかった。
人間には出来ることだった。人間じゃない俺たちにはどうあがいても出来ないことだった。
そんなことはハナからわかっていたはずなのに、こいつはそれに挑んでしまった。挑まなければ可能性は残ったかもしれないのに、俺がけしかけたからその可能性まで潰しやがった。その結果、俺らは二人とも随分歪んだ性格になったと思う。その『出来なかったこと』にいつまでも縛られ続けている。俺も、こいつも。

「青梅くん、涙の種類は800通りあるんだよ」

ほら、さっきと言いかたも違ってら。どうせ適当な時間潰しだ。乗ってやるのも馬鹿馬鹿しい。潰す時間などハナから無かったというのに、こいつはいつまで続けるつもりなんだ。

「800もあるわけないだろうが」

 


『負けず嫌い』
2017/11/23