路傍の水

日々 絵や創作のこと

2017.12.24 中央・総武線各停/高円寺

クリスマスらしいことは昨日のうちにささやかなクリスマスパーティーというか忘年会というか、いつもの友人といつもと変わらず落書きしながら駄弁った。これが一番たのしい。見るも無残だった部屋が人が来るというので少しスッキリした。人は定期的に招いたほうが部屋のためにはいい。日が昇るまで遊んでいた。

 

午後に高円寺に散歩に行った。学生の頃良く来ていて、その時から行っては買うものが古本だった。駅からは歩くと30分以上かかるような不便なところに住んでいたので、自転車で行っていた。重い辞書を何冊も買った。

逢魔時だか、もう薄暗い寒い日のことだったと思う。小さな看板が立っていて、気になって路地の中に入った先で小さな古本屋を見つけた。その時はなにも買わずに出て来てしまった。今日ふらっと散歩に出ようと思ったのはそこを探そうと思ったからだ。

一度しか行くことのなかったお店、私にとって何もかもが初めてだったあの頃、そのお店も始めての冒険で見つけたような感動があった。でも本を買わなかったのでずっと実感がなく夢の中の出来事のように思っていた。丸眼鏡をかけたおじさん店主が、部屋の中の梯子から降りて来る…なんとなく覚えているだけの記憶は夢と変わらない。どのあたりだったかなあと考えながらいろいろな店舗のクリスマス向けのムードの中を歩いていた。路地を覗き込んでいたらその店は案外すんなりと見つけることができた。あの時より明るかったので路地を広く感じた。

店の中の雰囲気も、店主のイメージも当時と変わらなかった。大昔のように話すが実際は5年も経っていない。だけど自分にとってはいろいろなことがあったし、20代になってからは一年が早いよ、と言われていた一年は凝縮されていて、たしかに早くは感じたが短いとは思わない。だからあの数年前に行っていた街に行き、店が数軒変わっていてもほとんど街の表情が変わっていなくてどこかホッとしている自分がいた。

本の物色を始める。店内には私の記憶の中の男性と、女性がレジカウンターにいた。丸眼鏡の店主は「良い本だけどボロボロだなあ」と言いながら本の修復をしていた。狭い店内、4畳ほどだろうか。壁に本棚や楽譜、古いフライヤーが貼ってある。本は芸術書が多いだろうか。そういえば先々週に本八幡に行った時に寄った古本屋も芸術書が多かった。売る人が多いということだろうか。集めたい人が多いということだろうか。

いくつか気になる本はあった。これだけたくさんの本があって、手に取るのはごく一部、しかもなにかを探して入る訳じゃない古本屋ではすべてが初対面で、もちろん前情報もないから、その手に取る動作も大げさに言ってしまうと運命のひとつなのかもしれない。

そして今回手に取った本の中から買ったのは「二葉亭四迷集」

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だいたい書き出しでピンと来るものを買うようにしているが、今回はタイトルで、「浮雲」。実は文庫を持っているが読み切れていない。買ってから2年ほどだったので、今ここで読むべきタイミングなのかもしれない。

学生の頃はどんどん新しい出会いを求めていたように思う。そしてそれがその時々の自分の作った物語やキャラクターに残っている。その場に行けばどんなことを考えていたのかを思い出せる。旅をしながら物語を書くのは自分の中に地図を書くのと同じことかもしれない。今年の自分はどうだっただろう。いろいろなところでいろいろな人と出会いながら色々な生き方を試してみながら過ごしていた。

上半期はほとんど人と会わずインターネットの中の自分の描いたものへ自分が没頭していたように思う。それが悪いことかどうかは判断できないが、下半期になってからの時間の感じ方のほうが自分にとって良いものになっている。

年が明けてから特に3ヶ月間はあっという間に過ぎてしまうが、ネットに没頭しない自分の時間をもっと持ちたいと思う。