路傍の水

日々 絵や創作のこと

2017/11/23 青梅線

「涙を流す理由は800通りあるんだよ」
中央本線が突拍子のないことを言いだすのはいつものことだった。
またどうせ変な本でも読んだに違いない。たとえ時間が人よりあろうと好きでもないミステリ以外の本は読みたくない俺に対し、こいつは手当たり次第何でも読み漁る。何を好きで何を嫌いなのかはこいつの口から聞いたことがない。今回は、どうせ変な恋愛エッセイだか女性向け自己啓発だかを読んだに違いない。
涙の理由なんてさらさらどうでもいいのだが、こいつは返事をされるまで同じように話しかけてくる。そして気に入った返事を引き出すまで話をやめない。なんてめんどくさいヤツ。
例えば俺がここで「どうでもいい」と言ったとすると、こいつはどうでもよくない理由を上手にでっち上げる。話を作るのはべらぼうに上手いのだ。そして俺は結局800の涙の理由とやらを聞かされる。もしくは俺が「800なんかあるはずない」とかいって、話の内容そのものにケチをつけたとする。すると、今度はその800が嘘だったか本当だったかには一切触れず、俺は800の涙の理由を聞く羽目になる。800だろうが、8だろうが、1000だろうが、10000だろうがこいつには関係ない。口に出したことは絶対覆さない。なんてめんどくさいヤツ。

大昔、出来もしないことを言ったこいつに「やってみろよ」と煽ってやったことがあった。その頃はこいつ以外にも俺はよく喧嘩を売った。そういう時分だった。その出来もしないことを、結果だけいうと、こいつには出来なかった。
人間には出来ることだった。人間じゃない俺たちにはどうあがいても出来ないことだった。
そんなことはハナからわかっていたはずなのに、こいつはそれに挑んでしまった。挑まなければ可能性は残ったかもしれないのに、俺がけしかけたからその可能性まで潰しやがった。その結果、俺らは二人とも随分歪んだ性格になったと思う。その『出来なかったこと』にいつまでも縛られ続けている。俺も、こいつも。

「青梅くん、涙の種類は800通りあるんだよ」

ほら、さっきと言いかたも違ってら。どうせ適当な時間潰しだ。乗ってやるのも馬鹿馬鹿しい。潰す時間などハナから無かったというのに、こいつはいつまで続けるつもりなんだ。

「800もあるわけないだろうが」

 


『負けず嫌い』
2017/11/23